ふわりの日記

社交不安障害のママふわりと、息子こーたんの子育て日記です

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【社交不安障害】わたしの社交不安障害について~経緯~

わたしが社交不安障害だと知った時

 

こんにちは。今回は、私がはじめて「自分は社交不安障害なんだ…」と分かった時の事について書きたいと思います。

それは、私の人生の中ではわりと最近の話でした。

 

はじめは引きこもりの姉の相談で…

私が初めて心療内科に通う事になったのは、大学1年生の時のことでした。

学内に気軽に精神的な悩みを相談できる場所があったので、その当時1年近く引きこもりをしていた姉の事について相談をしに行きました。

 

初めのうちは、姉の事について色々と話を聞いてもらっていましたが、相談にいく回数を重ねるうちにいつの間にか自分自身の事についてカウンセリングしてもらっている状態になっていました。

 

その時は、「気分が落ちこみやすい」のと「過敏性腸症候群&腹鳴恐怖症(緊張したりテスト中などの静かな場面でお腹の調子が悪くなってしまっていたので)」の症状が主な症状でした。

 

社会人になってからの生活

大学は結局、中退をしてしまいました。

引きこもりの姉がいる家から飛び出したくて、一人暮らしを始めました。

仕事も無事に決まり、色々と充実した日々を送っていたのですが、月に1回くらいの頻度で「どうしても仕事に行きたくない。」となってしまう時がありました。

 

それは、本当に体調が悪い時もあったのですが、前日の夜辺りからうまく眠れずに過去の事など思い出して涙が出てきて気持ちがひどく落ち込んでしまい、それでそのまま気が付いたら出社の時間になっていて慌てて休みの連絡をする・・・

そんな、本当にダメな社会人でした。。。

 

単なる怠け癖だよな…とも思っていましたが、それと同時に思ったのは、「PMS月経前症候群」なのでは?ということでした。

 

確かに考えてみたら、その仕事を休みたくなったり、夜に訳もなく泣きたくなったりした翌日~3日後くらいに生理がくることが多かったからです。

(しかも、小学校4年生くらいから月1くらいで学校を休みたいと駄々をこねていた記憶もありました。中学校3年の時も友人から「そろそろ明日辺り休むんじゃない?」と言われたり…)

 

それから、近くのレディースクリニックに相談に行ったのですが、

「まずは基礎体温を数ヶ月つけて持ってきてください。」

とのことで、朝の弱い私にはこの基礎体温を毎日つける事ができずに、そのままとなってしまいました。

 

その後の社会人生活

その後も、やはり仕事を休みたくなってしまう時が続き、会社にも行きづらくなり、1度休むと続けて3日くらい休んでしまう時もありました。

時には、朝休みの連絡をしたつもりでも実は妄想の中でしていて、現実には無断欠席になってしまっていた時もありました。

さすがに毎回体調不良というのも厳しくなり、また心療内科にお世話になる事になりました。

 

その時の会社の上司はとても理解がある人で(その上司自身も少し前まで精神的な理由で休職していたのもあり…)、私の通っていた病院まで一緒に来てくれて、主治医の先生と私の治療の事について一緒に相談に乗ってくれました。

その結果、「3ヶ月休職してそれからまた復職するかどうするか話そう」ということになりました。

その時の診断名は、確か「統合失調症」だったと記憶しています。

 

しかし、3ヶ月休んでも復帰できず、そのまま退社をしました。

 

実家に戻って療養することに

長年、実家で引きこもりをしていた姉は、私が社会人になって順調な期間に立ち直る事ができ、姉も実家を出て一人暮らしを始めていました。

一方、仕事を辞めた私は収入がなくなってしまったので、実家に戻ってしばらくのんびりと過ごすことにしました。

 

実家といっても、私の両親は私が高校1年生の時に離婚しているので、母親と私の2人暮らしになりました。

 

母は、私が大学生の時に心療内科にお世話になった時には、心療内科というものに全く理解がありませんでした。

しかし、その時には色々と理解をしてくれていたのか、半分私を諦めていたのか、症状についてあまり問い詰められることもなく過ごさせてくれました。

 

そして、地元の友人などの支えなどもあり、実家に戻ってから半年くらい経ってから、「また社会に戻りたい!」と思えるようになりました。

 

 

社会復帰してから~結婚まで

半年の休養期間が明けて、無事に地元で再就職を果たしました。

最初は、やはり心療内科に通い処方された薬を飲みながらでしたが、ほぼ休むことなく仕事に行くことができました。

やがて、所属部署の責任者にもなり、完全に毎日仕事モードで頑張ることができ、心療内科も卒業していました。

 

ちょっとしたきっかけで、そこの職場で今の旦那さんと恋愛に発展し、結婚・妊娠→そして退社し、子育てに専念することになりました。

 

 

産後の社会復帰、再び心療内科

息子こーたんが生まれて、生後7ヶ月の時に保育所を探してまた社会復帰することにしました。

最初は、「子供がいる事を会社の人に感じさせないように、頑張って仕事しよう!」という意気込みだったのですが、なんと社会復帰の初日から保育所からこーたんが熱を出したと呼び出しがあり、初日から職場の人達に気をつかわせてしまう結果に・・・

 

自分では精一杯仕事も家事も育児もしているつもりでしたが、気が付いたら全てが中途半端になっていました。

夕飯も、離乳食のこーたんの食事でいっぱいいっぱいで、大人の分は旦那にお弁当を買ってきてもらったり。

そして、旦那と喧嘩になることも多くなり、精神的にまた辛くなったりしました。

 

週5日フルタイムで働いていた職場から、週4日パートタイムの仕事に変わり自分の時間が持てるようになりましたが、それはそれで収入が少なくなって旦那とお金の話でもめたりしました。

そして、私が首のヘルニアで寝込み、仕事を数日休むことになったのがきっかけで、首のヘルニアの症状が治まってからも、また精神的に仕事に行けなくなってしまいました。

 

そこで、また再び心療内科にお世話になる事になったのです。

仕事も最初は休職扱いにしてもらっていましたが、退職することになりました。

 

そこで問題なのが、こーたんを預けている保育所のことです。

原則、保育所は両親が共に働いていないと預けることができません。

次の仕事を見つけるまでの「求職活動中」ということにすれば、3ヶ月延長して保育所に通わせることができるのですが、それまでに仕事が決まらなければ退所させられてしまいます。

 

育児に家事、夫婦問題に仕事の事、お金の事など、なんだか色々な不安で気持ちが落ち着く日はありませんでした。

次にまた、仕事を探して働かなくちゃいけないと考える事は、もはや恐怖でした。

保育所の先生からも、

「お母さん、まだ次の仕事決まらない?(延長できるの)3ヶ月だから、そろそろ決めないと!」と、親切心からだとは思うのですが、私にとってはプレッシャーでしかない事を言われたりもして、焦っていました。

 

そんな時に主治医の先生から言われたのが、

「療養中という理由でも、保育所を延長することができるんだよ。そういう書類書いてあげるから、それでゆっくり治療に専念しましょう」

ということでした。

そこで、保育所に提出する為に書いてもらった書類に書かれていた診断名、それがこの「社交不安障害」というものだったんです。

 

「社交不安障害」と出会って

心療内科に通っていて、「あなたはまさに〇〇病ですね」なんてあまり言われる機会ってないと思います。

大体は話をしてから「それじゃ、今日は〇〇〇になるようにお薬出しておきますね」で終わりですよね。なので、あまり自分は何病だ!なんて考えていませんでした。

 

しかし、この時みたいに書類に「社交不安障害」と書かれているのを見て、始めて社交不安障害について調べてみたり、確かにそういうことが自分のストレスの大部分になっていたなぁと自分の症状と向き合うことができたと思います。

 

それまでは、息子のこーたんに対しても「こんなダメなママでごめんね。」と悲観的になる事が多かったのですが、この社交不安障害で悩んでいるお母さんて他にも沢山いるんだということもわかり、少し心強くも感じました。

 

わたしの社交不安障害について~まとめ~

今回は、私が初めて心療内科に通い始めた時の事から、社交不安障害と言われた時までの経緯について書いてみました。

 

同じく悩んでいる人や、家族や友人が同じ症状でどう接していいかわからない人などに、私の事をブログにすることで何かヒントになったり、一緒に考えたりできるきっかけになったらいいなと思います。

 

そして、現在も社交不安障害と向き合っている私にも、何かアドバイスをもらえたり、励ましの言葉を頂けたら嬉しいです。

 

長いブログになってしまいましたが、読んで頂いてありがとうございました。

 

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